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穆公(ぼくこう、? - 紀元前383年)は、魯の第30代君主。名は顕。元公の子で、元公の後を受けて魯国の君主となった。在位33年。在位期間中に改革を実行し、哀公・悼公・元公の3代にわたる三桓氏の専制の問題から脱却し、魯公室の権威を確立して、隣国の斉とのあいだで数度の戦争を展開した。 == 経歴 == 穆公元年(紀元前415年)、穆公は改革を実行するため、博士の公儀休を魯の相に任命し、三桓氏から政権を奪回すべく、親政を開始した。季孫氏はその封邑の費・卞・東野に拠って独立した小国となっていた。 穆公4年(紀元前412年)、斉が魯の莒と安陽(現在の山東省陽穀県の東北)を攻撃したので、呉起を将として、斉軍を破った。 穆公5年(紀元前411年)、呉起が魏に亡命した。斉が魯を討って都を取った。 穆公8年(紀元前408年)、斉が魯の郕を取った。 穆公22年(紀元前394年)、斉が魯を討ち、郕を取った。韓が魯を救った。 穆公26年(紀元前390年)、魯が斉を平陸で破った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穆公 (魯)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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